筑後山隈城

場所:小郡市山隈
 城山、花立山とも言われる山が城域で、筑前・筑後にまたがる要衝だ。ごらんの通り、筑後平野がよく見渡せる。平野に山はここぐらいだ。
 少弐頼尚の築城で、筑後川の戦いでは当初頼尚の本陣になっていた。その後鰺坂へ移動したが、作編変更で前伏へ移動し、敗走してこの山隈城に逃げ込んだ。

 遺構としては、神社や駐車場になっている曲輪と、縄張り図では堀切が残ることになっているが、非常に浅い堀切だった。例によって写真ではわからないでしょう。
 戦国時代、秋月勢の夜襲によりパニックに陥り敗走する臼杵、吉弘の兵が、戸次鑑連の陣へと逃げ込んだ。そこはさすがに戸次鑑連、ぬかりなく夜襲に備えていたが、算を乱してなだれ込んできた敗走兵との同士討ちが始まってしまう。
 鑑連は同士討ちを演じる味方に怒り、同士討ちを収拾し、友軍の敗走を助け、追っ手の秋月勢と戦ったが、甚大な被害を受けた。その時全軍に後退を命じた先が山隈城でもあった。逃げ込むのに適した城なのだろうか。