肥後古麓城


場所:八代市古麓町一帯
 一般的には古麓城と呼ばれるが、かつては八代城と呼ばれていた。いわゆる「八代城」はその後現在「麦島城」と呼ばれる場所に移され、地震倒壊後さらに移動して現在の「八代城」に至っている。

 17代菊池武朝が菊池脱出後、良成親王と共に最終的に籠もって抵抗したのがこのお城だ。
 後に相良氏との抗争の地となり、22代能運が攻め落とした。

 古麓城は飯盛城、丸山城、鞍掛城、勝尾城、八丁嶽城、新城、鷹峰城から構成されており、新城と鷹峰城は相良期からとのことだ。

 写真上のように、見事な四重堀切が残る。左上は鞍掛城、左下は新城からの眺めだ。少し離れた飯盛城、勝尾城はパスした。