肥後城村城

場所:山鹿市城
 菊池一族の城氏代々の居城と言われるが、十八外城の城林城という説もある。両方関係ありそうだ。
 戦国期、城氏が隈本に移った後は隈部親永の子・親安が入った。肥後国人一揆では隈部親子が18000人で籠城した。本城の隈本城が菊池武宗によって包囲されたと聞いた佐々成政は付城に兵を残して一時撤退、結局城村城は最後まで落城しなかった。
 本丸、二の丸、三の丸跡が空堀に隔てられ存在するが、それぞれ畑になっている。