肥後焼米城

場所:玉名郡和水町焼米
 堀切が2本と、曲輪が遺構として確認できる。現地説明板は、あまりに堀切がちゃちいとして、単なる区割りの溝じゃないかとしている。たしかにちゃちい。

 地元の人は、焼米五郎が城主と伝えているらしい。焼米五郎と言えば、蒙古襲来で戦った御仁だ。
 この御仁、服部英雄氏によると、もしかしたら菊池一族と同族かもしれないということで、以前訪問したけど「関係ないや」と作成していなかったページを急遽作成した次第である。

 ただし、現地の説明板では、南北朝期築城説を採っているので、焼米五郎城主説は疑問としている。