豊後高崎山城


場所:大分市大字神崎
 無謀にも2月上旬に訪れたため、雪景色だ。太陽は出ていたが、時折雪が舞ったりかなりの強風が吹いていた。
 上の写真は高崎山山頂で、ここが主郭ということだ。土塁で囲まれているのがわかるだろうか。

 左上の写真は主郭の一段下からの写真だが、右奥に石垣らしいものが見えるので近づくと、左下写真のようになっていた。少なくとも武光の時代ではなさそうだ。井戸じゃなさそうだから、狼煙台?
 
 ここは菊池氏が何度も大友方を攻めた城であるが、武光も力で攻略できなかったお城だ。
 後に今川貞世が子・義範を送り込んだ際も、初め武政を送るが攻略できず、自ら出向くも長期戦となった。その隙をつかれて肥前から弟・今川仲秋、下関から今川貞世本人の大軍の上陸を許してしまうという事態に至り、肥後に撤退している。

 主郭には右のような墓碑がある。裏の説明によると、大友親綱の次男が、菊池氏との戦いで落城・命を落としたある。親綱は家督争いで一時敗れた時に菊池持朝に保護されているが、その後決裂したのだろうか、よくわからない。
 ともあれ、この山は春か秋に来るのが一番良いだろう。雪で探索する気力が著しく損なわれた。
 虎口、堀切、土塁の確認は出来たが、肝心の天守台石垣は発見できなかった。けど、武光と関係ないからいいか。