江月山玉祥寺
菊池為邦、菊池重朝墓

場所:菊池市玉祥寺
 20代為邦の創建。子・重朝と墓が仲良く並んでいる。左が重朝で「梅屋祥英」。右が為邦で「尖活仍勢」。碧厳寺にも分墓されている。
 寺には為邦の兜の前立てに使う狐のしっぽがあったらしい。
 写真中のように、付近にもう一つ寺跡らしきものがあり、そのうえ墓碑らしきものも二つあるので紛らわしい。地図だとここも玉祥寺っぽいが…。もしかしたら菊池風土記にある持朝の姉のものか、赤星武統のものか…。

 なお、第22代能運が隈部氏排除を狙って戦ったのは玉祥寺(袈裟尾)原であるので、このあたりだったのだろう。
 その後、佐々成政が隈府城を攻めたときも戦場となり、寺が焼けている。

 左は寺にある重朝の催した「菊池万句」の碑。
 「月や志る 十代の松乃 千々の秋」
 は重朝の発句。下が切れてしまっているような…。
 なお、最後は重朝の
 「夜ぞ惜しき 月は残れる 晨(朝)かな」
 だ。

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