淀姫神社
(九郎堂)

場所:佐賀市富士町大字古湯
 多々良浜の戦いで阿蘇惟直は重傷を負い、弟・惟成は兄を守りながら三瀬峠を越え阿蘇を目指していた。
 重傷の惟直を古湯で療養させている間、惟成の家臣・原隼人は古湯城を築城している。

 療養中に千葉胤貞に発見されてしまい、戦いとなる。兄弟の最期については諸説あり、西に天川を遡って天山山中に入り、先行していた惟成は行方しれず(田夫に捕らえられ行方しれず:『太平記』)となり、惟直は最後の戦いを挑んだ後割腹し、胤貞に「阿蘇の噴煙が見える小杵山(天山?)に葬ってくれ」と遺言したとも。また、戦いの最中兄弟で天山に登り、阿蘇の噴煙を望みながら共に自刃したとも。

 惟成はこの戦いで重傷を負ったものの実は生きており、古湯で傷を癒し定住し、この九郎堂を建立したという伝承が残っている。

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