熊耳山正観寺
菊池武光、菊池武澄、菊池武政、菊池武国墓

場所:菊池市隈府(写真は武光墓碑)
 博多合戦で聖福寺にかくまってくれた大方元恢を、武光が菊池に招いて創建したとされる。それもあって、大智と気まずくなったともいわれる。

 佐々成政の肥後入国以降無は人だったが、加藤清正の時代になり清正は寺領を寄進しようと考えていた。
 そのとき、付近に罪人が14人いたらしく、清正は善派和尚に罪をとりなさせ、罪人達を許すという処置をとろうと和尚に使いを送ったが、何かあるんじゃないかと疑った和尚は出頭しなかった。怒った清正は考えていた寺領の寄進を取りやめたという。
 第15代菊池武光墓。
 後方の大楠が墓印とされ、1779年に隈府の豪商・宗伝次なる人物によって建てられた。1781年完成、「菊池正観公之碑銘」。
 幕府・藩への配慮から、菊池家臣の後裔としての顕彰というスタンスをとったという。

 天気が良ければ紅葉ももっと映えていただろうな。
 墓碑は湊川神社の菊池武吉墓(楠木正成墓)を参考に造られたという。武重の墓もそうだ
 さらにこれを参考に武朝の墓も造られたとか。
 第16代菊池武政公墓。晩年はあまりのハードワークに、目が見えなくなってしまったという。
 現在墓碑の手前の筒は、石造りになっています。
 武光公の兄として九州一統に大きく貢献した肥前守武澄公の墓。彼が長生きしていれば、歴史は変わったかもしれない。
 守護代として、主に武朝をサポートした菊池(高瀬)武国公墓。
 こんな感じで筒が石になっており、墓碑が見えづらくなっています。
 左が武光公をかくまった大方元恢和尚、右が秀山元中和尚のお墓で、両者とも開山に関わっていらっしゃいます。