東福寺
菊池武村、菊池覚勝(寂正)、城為量墓
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場所:菊池市亘 |
菊池五山の一つ。本尊の千手観音は行基の作だとか。
一時期「賊徒」によって焼失したが、則隆が再興したという。そして第九代隆泰の次男・頼隆が出家し覚仏と称し、ここに庵を建てて住んだとも。
かなりの規模だったようだが、加藤清正が築地井手を造った際にお墓の一部を境内に移転させたらしい。
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左は菊池覚勝墓。博多合戦の際、探題館に深く切り込んだが討ち死にした。「寂正」を博多の僧が「覚勝」と聞き間違え『博多日記』に書いたため、それが定着してしまった。しかし贈正三位だ、まいったか!
右は菊池武村墓。武村は武重とともに上洛し足利軍と戦った。武重を良く補佐したが、大渡の戦いで戦死。 |
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おまけ。左上は「歴代住職並びに菊池一族千人塚慰霊之塔」 移転させてしまってごめん、ということでしょうか。
右上は城為重の墓とある。系譜に見あたらず、応永年間の墓で「越前守」ということは、「為量」だろう。
左下は武重の嫁と侍女の墓とされる。14代武士の時の本城落城時に自刃したとか。 |
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