長福寺
(新宮忠親墓)

場所:山鹿市鹿央町北谷
 康平寺は東西南北に四寺を従えているが、北にあるのがこの長福寺だ。
 新宮忠親(菊池忠親)の墓を探して北谷地区をさまよっていたが、初めての時は地元の人に聞いてもわからず断念。
 その後、関係ないだろうと思っていた長福寺あることが判明し、再訪。だがなかなかわかりにくかった。
 写真左上の案内がすぐあったので墓も苦労なく見つかるだろうと思っていたが、その後案内は皆無。
 矢印の方向に進むと五輪塔が複数あるため、これらの内のどれかかと刻まれている文字を読むがどうも怪しい。本で見たものとも微妙に違う。ということで奥まで進むが、特に何も見あたらず。
 やはりあれらの中のどれかなんだと自分に言い聞かせて立ち去ろうとしたが、念のため近所の民家に聞き込みに行く。するとやはり「違う」とのこと。あれは住職のもののようだ。
 ではどこかと聞いてみるものの、よくわからない。言われた場所には行った気がしたのだが…。
 ともあれ、「コンクリで舗装されている道まではいかない」「松林との境界線」「右」をキーワードに探してみると、「これは道じゃないだろう」と思っていた「道」が正解だった。忠親、待たせたな。
 新宮忠親(菊池忠親)は菊池兼朝の子。1428年、田川郡に侵入し福智山城、戸代山城、牛王山城を落とす。しかし1431年、兼朝によって霜野城で自害させられたとも、1432年忠親と兼朝がつるむのを危険視した兄・持朝によるとの説もある。なんとなく後者が有力で、自害を赦免する使者が間に合わなかったとされる。