鷹島と少し名護屋城
(7/25/2010)


 元寇の島・鷹島に行ってきました。
 「『鷹』島」と「勝利」ということでさっそくホークスが目をつけ(目をつけられ)、モンゴル村にはこんなもの(左)があります。有料だし見に行ってあげませんが。無料でも行きませんが。
 ただし、鷹島のあらゆる看板で「ホークスアイランド」とアピールしている辺り、島もしっかり便乗しているわけです。
 この鷹島、昨年4月に東の佐賀県から橋(中)が開通しました、が、この島は長崎県です。
 橋が開通したし、結構な人出かと心配したのですが、そうでもありませんでした。海も奇麗だし、穴場かもしれません。
 さて、橋を渡ってすぐの道の駅「鷹ら島(宝島にかけてる)」では、ふぐが出迎えてくれました。夜には中に灯りがともるらしく、なかなかに愛らしい(右)。
 では順に史跡をご紹介します。

・兵衛次郎墓。
 道の駅からすぐです。
 文永の役では対馬守護代宗助国の命で後述の対馬小太郎と共に元の襲来を知らせる使者として大宰府へ向かい、そのまま後述の少弐景資の家臣となりました。弘安の役では景資と共に鷹島へ向かい、戦死します。
 墓から眼下の「祈りの浜」は、文永では全滅した島民の最後の避難所、弘安では日本援軍の基地となったとか。
・鷹島歴史民俗資料館
 発掘された元軍士官の印章のでっかいレプリカがある。
 元寇の説明や、海から出てきた遺物が展示されています。てつはうもありました。
 ここのおばちゃんに鷹島のお城のことを教えてもらいました。なんでも城は3つはあるらしく、中でも医王城は一昨年発掘調査の結果、結構な遺構が発見されたらしく、県指定が検討されているとか。おばちゃんはしょっちゅう車で行っているらしく、これは行かねば、と思ったのですが、近所の人に「そのきれいな車ではオススメしない」と言われ断念。汚い車の人、よろしくお願いします。
・龍面庵
 弘安の役で援軍の少弐景資が本陣を置いたところ。少し道が狭い。
 景資は一週間に及ぶ激戦で、(沈んだ船からはい上がってきた)元軍を全滅させた功労者です。 
 景資と言えば竹崎季長の『蒙古襲来絵詞』にも登場する、日本軍の実質的総大将。文永の役では功を焦る季長を笑顔で送り出し、自らは副将・劉復亨を射て重傷を負わせています(というのが通説だった)。
 その後、霜月騒動で兄・経資と争い、筑前岩門城で戦死。墓は那珂川町にあります。
 その景資の像がここにはある!さぞ勇壮なことでしょう
 う〜ん、う〜ん…。

・宮地岳史跡公園
 元寇記念碑が残る、見晴らしが良いだけの公園だ。
・対馬小太郎墓
 兵衛次郎と同じく、宗助国の命で元の襲来を大宰府に知らせる。その後は景資に従い、弘安の役では鷹島で戦い戦死。
 「対馬が見えるところに葬ってくれ」が遺言だったらしい。あれ?これはどこかで聞いたような(阿蘇山が見えるところに…と言った阿蘇惟直)。
・刀の元の六地蔵
 六地蔵が赤くなっているが、これは子供の病気が治るようにと、親が深夜に赤土を塗りだくった結果らしい。
 あれ?元寇と何の関係があったんだっけ?と思ったら、元の捕虜の首をガンガン切ったところらしい…。こんなとこに深夜来たくない。


・牧の岳史跡公園
 記念の五輪塔がたつ、鷹島で一番高い場所だけの公園。ここは城じゃなかったんだろうか。
・開田の七人塚
 文永の役の際、鷹島にはほとんど守備兵がいなかったらしく、壱岐・対馬同様島民はほぼ全滅しているわけですが、ここでは
「船唐津免の開田というところの一軒家は、人目につきにくい山の中にありましたが、飼っていたニワトリが鳴いてしまったため、元軍に見つかってしまいます。『ニワトリがいるなら人も住んでいるはずだ』と元軍は山の中を捜したのでした。8人家族のうち7人が殺され、灰だめに隠れていたお婆さんひとりだけが助かったということです。それ以来、開田ではニワトリを飼わないと伝えられています」
 ということは、開田の人たちはニワトリを食べる機会もなかったんだろうか。あんなに可愛くてうまいのに。

・今宮神社/満福寺跡
 元寇で鷹島を守るために戦い、重傷を負ってここで自刀したという松浦答の墓があります。
・中川激戦地
 この島最大の激戦地だったらしく、先述の松浦答はここで重傷を負ったという。
 この地は「くびのき(首除)」というらしい。それは元軍の首をここに積み重ね、血刀をこの中川で洗ったかららしい…。絶対、ここで捕虜の首を斬ったんだろうなぁ。
・銅造如来坐像
 江戸期に島の漁師の網に引っかかった像。高麗式らしく、元寇で沈んだ船のやつではないかと言うことだ。
 鷹島はここまで。食事は道の駅の「魚島来(おとこ)定食」。
 なお、ここには鷹島グッズはほぼ皆無。「鷹島」なる、まて焼酎を買った。もっと元寇をアピールすればいいのに。元寇シャツとか(写真は博多駅で見つけた恥ずかしい「元冠」シャツ)。
 帰りに名護屋城に立ち寄りました。堀秀治、豊臣秀保、九鬼嘉隆、生駒親正、島津義弘、木下延俊陣屋を再訪し、ご新規は加藤清正陣屋のみ。
 名護屋城に着いたときは夕暮れ時で、他に誰もいない。夕暮れの名護屋城は初めてで、なかなかよい。
 念願の鷹島に来れましたので、10月訪問予定ので壱岐・対馬で元寇関連の史跡を回れれば、ほとんどの史跡には行けたことになるかもしれません。今から楽しみです。