筑後三原城

場所:三井郡御手洗町本郷
 別名本郷城。上写真の通り風情のある家の前に城趾碑と説明板があるが(町全体の家がこう、というわけではない)、遺構はここから離れたところにある。
 左写真がそうだが、この日は革靴で、しかも雨の翌日だったので藪こぎは断念した。
 三原氏は三原弾正時勝を祖とするらしく、809年にここに城を構えたそうだ。鎌倉期には原田種直の子・種朝が三原氏を継いでいる。兄弟の種雄が秋月氏の祖であるから、秋月氏と非常に関係が深い。
 三原氏の名前を有名にしたのが、三原紹忍入道重種だろう。彼は大友氏に味方をし続け、高橋紹運と共に岩屋城に籠城し百貫島砦を守備した。三原和泉、富元忍富、梁瀬三河ら50名と奮戦し活躍するが、結果的に高橋紹運と共に玉砕した。

 何かと岩屋城籠城戦で影の薄い三原城だが、南北朝期には多々良浜で敗れた菊池武敏が、三原朝種と籠城した城でもあるのだ!その後仁木義長の追撃を受け、猫尾城に籠もっている。