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場所:八女郡黒木町大字北木屋 |
別名黒木城。1186年、黒木助能により築城とされる。
黒木中学校裏にあたる。曲輪が駐車場になっており、車で付近まで行くことが出来る。
石塁に囲まれた本丸まではすぐで、神社が建っている。それを囲む石塁も櫓台の遺構だと言われるが…(写真上)、本当にそうなんだろうか? |
本丸からの眺めはそこそこ。棚田が見頃だった。
「猫尾城戦没将士之霊」、「勤王史蹟黒木城趾」という二つの碑が建つ。「勤王…」の方は、多々良浜合戦の後、三原城から逃れた菊池武敏と共に籠城した黒木善統らのことや、後に今川貞世によって落城したことを指しているのだろう。
後に、沖田畷で龍造寺隆信が戦死しすると、龍造寺方の黒木氏が大友勢と戦っている。
田原親家総大将の兵7千の攻撃を受けるが、黒木家永もなかなかの人物、2千の兵でこれによく耐えた。一ヶ月攻めあぐねた大友方が戸次道雪、高橋紹運という鬼コンビ4千を差し向けると、さすがに落城。二人に嫉妬した田原兄弟(親家と親盛)は、「こいつら、生意気だよ!」と柳川城攻略前にさっさと陣払いをしてしまった。 |
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他にも遺構が残るようだが、この日は城に興味ナッシングの友人連れだったために早々に退散。またこねばなりますまい。
写真は空堀挟んで三の丸方面。たぶん。 |
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