菊池十八外城

肥後臺城
(水島城)

場所:菊池市七城町台
 「うてな城」と読む。別名水島城。後方基地が神尾城らしい。
 内田川と迫間川の合流地域が水島で、城は台地上の、古墳一帯にたっていたようだ。腰曲輪らしきものがあるが、遺構なのかどうかはわからない。
 また、崖下には瀬戸口横穴群なるものがあり、勾玉、貝輪、耳環、鉄製品、須恵器、亀甲などが出土した墓だそうだが、南北朝期には城の倉庫として使われたという説があるようだ。真偽の程はわかりません。

 西方からの防御に優れているということで、水島の戦いでは菊池武朝がここで今川の大軍を迎え撃った。今は藪化してこうはいかないが、ご覧の通り平野を見下ろせる位置にある。
 戦いは今川貞世による少弐冬資暗殺という失策につけ込んだ武朝が勝利している。

 要所ということで毎年城主は交替され、才能ある人間を配置したそうな。後に鬼肥前と言われた菊池武照(武澄公の孫)が入り、今川軍相手に奮戦、一説には戦死したという。