征西府が高良山から撤退した後も、相変わらず慎重な了俊は黒木城などをゆっくり落としながら菊池へ兵を進めた。
そして自ら水島城攻略の指揮を執った。本城はここからわずか4キロである。現地に行けばその近さに驚かざるを得ない。
本城攻略に先立ち、了俊は九州の守護達を呼び寄せた。島津氏久、大友親世はしぶしぶやってきたが、元々了俊に好意的ではない少弐冬資はやってこない。そこで了俊は氏久に冬資を呼ぶよう依頼し、氏久の招きに応じて冬資がやってきた。
しかし着陣した冬資との酒宴の最中、了俊は山内通忠(通常とも)に命じて冬資を刺殺してしまう。了俊は事情を氏久に説明したが、面目を失った氏久は憮然として陣払いをしてしまったどころか、後に宮方に走ってしまった。
怒ったのは氏久ばかりではなかった。九州の諸将が批難したため、今川軍は混乱に陥った。それを知った筑後方面の宮方が蜂起し、今川軍の後方を攪乱、長井貞広、宇都宮親景、日田詮永が戦死、今川軍は守るに適していない水島からの撤退を余儀なくされた。これに乗じた菊池軍は湿地帯で身動きがままならない今川軍に対して追撃戦を展開し、奇跡的な勝利を得た。 |