福童原の戦い

場所:小郡市寺福童あたり
 菊池武光・菊池武政が死去し、菊池武朝はわずか12歳で家督を継ぎ、高良山で必死に防戦していた。そんな中、菊池武安らを率いて果敢にも高良山を降りて武家方に戦いを挑んだのが福童原だった。
 周囲は田んぼが多く、延々と平地が続く。このあたりにある山は、少弐頼尚が本陣が置いたと言われる山隈城の城山ぐらいだ。こんなところで大軍に戦いを挑むとは、菊池らしいといえばそうか。
 肥前にいた今川了俊も駆けつけて行われた戦いは、武家方の勝利に終わり、結局武朝は高良山を放棄して肥後へ撤退することになる。

 写真は「千人塚」の碑と「福童原古戦場」の碑。この丘陵自体が千人塚なのだろうか。下の写真の通り、いつの間にか様子が大きく変わっている。周囲は宅地化が進んでおり、いつかここもなくなってしまうのではないだろうかと余計な心配。

 なお、福童原と言えば筑後川の戦いで筑後川を渡河した菊池武光が布陣した場所とする書があったりもする。また、付近には将軍藤のある大中臣神社がある。

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