紫陽山広福寺

場所:玉名市石貫
 生前、武澄が大智を招こうとしていたが、死後に未亡人、了悟が建立。歴代当主の位牌があるが、乙阿迦丸、為光、義武の位牌はない。

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 大智は菊池武重によって聖護寺に招かれた。
 菊池一族の精神的支柱となったが、特に菊池武光の代になるとやや軽んじられるようになった。武光は恩のある大方元恢を招いて正観寺を開いたのであった。
 武澄は誠意を持って大智につくし、一族と大智のパイプ役となった。死が近いと悟った彼は、自分亡き後に大智と武光に問題が起こってはと、自領の石貫に大智を招こうとしたとされる。
 大智は島原で死去し、遺骨は4箇所に分葬された。ここ広福寺と、円通寺聖護寺、加賀の祇陀寺だ。
 武安の時代に寺はもちろん、山まで焼けたことがあったようで、「寄進もないしどういうことよ!」という武安宛とされる書状が残っている。
 土地の寄進がかなり長いことなされていなかった理由としては、石貫に古くからある太平寺との土地権利関係があったとされる。