肥後佐敷城

場所:熊本県葦北郡芦北町大字花岡
 加藤清正が北肥後には鷹ノ原城、南肥後には佐敷城を築いたというが、なるほど鷹ノ原城同様、侮れない城だ。
 山麓からは石垣が目に飛び込んでくる。破城前の眺めは壮観だったに違いない。
 修復された石垣は若干新しすぎる感はぬぐえないものの、石垣スキーも満足できそうな遺構だ。

 佐敷城と言えば戦国期の「梅北の乱」で有名だが、南北朝期にもしばしば登場する。
 例えば、第18代当主菊池兼朝は子・第19代当主菊池持朝ともめた結果佐敷に逃れ(隠居先だったとも)、この地で没したとされる。
 その19代持朝は、高瀬での貿易権益を巡って弟の高瀬城主・高瀬泰朝とやっぱりもめて、相良領だった佐敷に逃れた弟を差し出せと執拗に迫っている。
 当時の佐敷城はこんなに立派ではなかっただろうし、場所もここではなくて兼丸城か。付近に兼朝のものとされる墓所もあることだし。