肥後高瀬城
場所:玉名市高瀬
別名保田木城。現保田木神社で、築城主の高瀬(菊池)武尚が祀られている。
菊池一族の高瀬氏代々の居城で、貿易を積極的に行った。第5代武教の名前は朝鮮の記録にも残っている。
ただ貿易の権益を巡って、高瀬泰朝の時代に菊池第19代当主菊池持朝との争いも起こっており、泰朝は相良領だった
佐敷城
へ逃れ、さらに薩摩まで逃げている。
後に加藤清正も貿易拠点としての高瀬に目を付け、
永徳寺
を廃し船着き場を建設している。
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菊池一族おっかけマップ(肥後)
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