合勢川の戦い

標柱の場所:山鹿市菊鹿町松尾
 合瀬川の戦いとも。
 大津山城の戦いで戦死した木野親政の遺領をめぐって赤星親家と隈部親永が争った。菊池当主がいないところでなにやってるんだか。
 赤星勢1600に対し隈部勢600。古閑川の流れる菊鹿町一帯で激突し、赤星蔵人は戦死した。その後も対陣が続き、大雨に油断し酒宴で酔いつぶれている赤星陣へ隈部勢が夜襲をかけ、勝利を決定づけた。隈部氏がそれ以降隈府城に入った。
 合戦以来、合勢川と呼ばれるようになったという。