懐良親王陵墓

場所:八代市妙見町
 懐良親王墓と称するものは筑後の千光寺大明神山などがある(なんと九州で七か所!)。秘密裏に葬儀が行われた上に、関係の深かった五条氏も衰退したため、確かなことがわからないらしい。邪馬台国並みのミステリーだ。
 特に大明神山の墓が本物ではないかなど(さすがに千光寺はアウトだろう)議論はまだ続いているようだが、なんと言ってもここは明治に宮内庁のお墨付きを得ている。『星野家譜』に親王の遺言として八代の麓山に葬るように依命したという記述が根拠となっているそうだ。

 親王は筑後矢部村で亡くなったということだが(星野村とも)、八代と縁が深かったということで、火葬された後、良成親王によってここに遺骨を埋葬されたことになっており、後方の小円墳がそれだ。

 側には親王御自筆銘の宝篋印塔がある。大正期に発見されたそうだ。「天授第七辛酉の歳、霊照院禅定尼のために、生死を出離し仏果円満なり、乃至法界有情平等利益を蒙る」と刻まれているようで、母の冥福を祈ったようだ。御小袖塚といい、幼くして分かれた父母に対してちゃんと孝行をしている。

 傍らの悟真寺は懐良親王追善のために菊池武朝が建立したとも、武政が建立したとも言われ、親王の霊牌がある、らしい。