菊陽町の白川の南側に広がっている水田地帯で、延元元年戦いが繰り広げられた。
延元元年、つまり1336年と言えば菊池一族にとって非常に厳しい時期であった。1月には武重が淀で足利軍と戦い大叔父の武村が戦死。2月には武敏が有智山城で少弐貞経を自刃させるも3月に多々良浜で足利尊氏に敗れる。5月には武敏は菊池大琳寺城で防戦に努める一方、武重は足利勢と備中福山城で交戦し、さらに兵庫でも戦い菊池武吉が楠木正成と共に湊川で自刃。
そして8月18日、武重不在のまま武敏が武家方と戦ったのがここ唐川原であった。白川を挟んで北に武敏・阿蘇惟澄、南に今川助時・託磨宗直・小代重峯・小代光信が対峙した。戦いの詳細はわかっていないが、戦場が白川の南になっていることから、菊池方が攻勢に出たのだろう。戦いは菊池方の勝利に終わっている。
現在は激戦地とされる六道塚古墳に看板が立っている。 |