筑後竹井城

場所:みやま市高田町海津
 第14代菊池武士の時代、筑後溝口城を失った菊池方は、兄の木野武茂が大城藤次と共に山門郡竹井城に入りる。筑後進出、さらに北への進出拠点としたようだ。
 竹井城は別名萱津城とも竹井萱津城とも呼ばれる。資料によっては、武茂が入った竹井城を、久留米市にある草野氏の竹井城としているものもあるが、溝口城を失った後という状況を考えれば、そんな北にいきなり進出できるはずもなく、誤りでだろう。
 「海津(かいづ)」は「萱津(かやづ)」との関連が想定され、隣接する「竹飯」は、「竹井村」と「飯尾村」が合併してできている。
 ただ、竹井城の正確な場所はわかっておらず、個人のサイト頼りなので、誤りの可能性もある。そのサイトでは、竹海小学校(28年3月廃校)としている。
 ただ、確かに南は飯江川が流れ、小学校は少し高い場所にあるので、もしかしたらそうなのかもしれない。

 2ヶ月超の戦いの末、竹井城を失ってしまった武士は、さらに一時期本城まで失ったため、家督を退く決意をする。ただし、「しかるべき人物に」と言ったのみで、「武光に」とは言っていないのがポイントだ。