託麻原の戦いで勝利したのもつかの間、今川仲秋が肥後へ軍を進めてくる。肥後にはいるとこの板井原に陣を置き、木野城、菊之城、打越城など本城を取り巻く外城を攻撃した。しかし頑強な抵抗によりなかなか落とされることはなかった。そこで仲秋は2年にわたり板井(亀尾)城に陣を置き、本城を孤立させ、兵糧攻めを行った。これを板井の陣とも言う。
やがて了俊も合流し、翌年まず鬼肥前こと菊池武照らの籠もる水島城を攻略した。さらに翌年、菊之城、木野武直・武郷、八代武方の木野城、本城背後の寺尾野城を攻略し、本城を孤立させた。
慎重に軍を再編成した後、武朝の本城、良成親王の染土城を攻撃し、陥落させた。武朝は親王と共に阿蘇山中に遁走し、とうとう菊池を放棄したのだった。 |