託麻原合戦

碑の場所:熊本市水前寺5丁目
 水島合戦での勝利で肥前まで進出したのは良いものの、しっかり立て直してきた今川貞世と肥前蜷打で戦い、肥前守武安、菊池武義、阿蘇惟武を失う大打撃を受ける。
 菊池武朝は肥後の城塞郡に籠もって抵抗する。亀になった武朝を引っ張り出そうと貞世は隈本城(これも詳細不明)へ入城し肥後南部に進出、野戦へと誘導する。これを放置していては肥後南部の宮方に見放されると、武朝はあえて託麻原へと出陣。今川勢2万騎に対し、菊池勢はわずか3500騎だった。
 してやったりと攻撃を仕掛けた今川軍だったが、まず武朝が決死の突撃で奮戦。数に任せて圧しつつもうとするも、良成親王の突撃によって勢いを得た菊池勢はさらに武国、武元コンビが奮戦し、今川仲秋勢を圧倒、仲秋勢の後退に連鎖反応を起こして全軍総崩れとなり、見事に勝利したのでした。
 と言っても本陣の了俊はびくともせず、実質最後の勝利だった。その後は板井の陣で敗れ菊池を追われる。

 戦死者の慰霊碑として八万千部之碑があるが、白髪三千丈でしょう。

 いろんな本に写真上が親王、左が武朝と書いてある。しかし上のレリーフの旗には並び鷹の羽紋がみえるのだが…。