馬門原の戦い

碑の場所:上益城郡山都町杉木
 別名、幕の平の戦い。
 文明17年、相良氏と名和氏の争いや阿蘇家の内紛、さらには郡浦を争った赤熊の戦いの流れを受けて「菊池重朝と阿蘇惟歳・惟家連合軍」vs「相良為続と阿蘇惟乗連合軍」で行われた合戦。
 菊池方は「宗たる面々」数十人が討たれたところを見ると、相良側の大勝だったようだ。千葉城主、出田秀信が先鋒を務め戦死した説もあれば、戦死は御船陣原にてとする説もある。よくわからない。
 これにより、赤熊の戦いで宇土を追われていた宇土為光が宇土に復帰し、相良氏は八代豊福を得た。
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