菊池の桜
2012年4月2日   2016年4月1,2日  2017年4月12日

 天気予報的に今年はこの日しかないと、菊池の桜を愛でに行ってきました。桜満開の菊池は初めて。

 菊池市民広場に到着したのが11時前ぐらい。すでにそこそこの人出で、アスファルトの駐車場はほぼ満車。
 午前中は太陽がみっくん像に対して逆光になる。
 そのため、背後から撮影してからは午後まで時間を潰すために周囲を徒歩で散策することにした。

・まず菊池神社の桜
 新しいデジカメの感触もそこそこ良い。

菊池氏館に立ち寄る
 21代菊池重朝時代に城下町はほぼ完成するのだけど、その時にできたと言われる守護館だ。ここから北東でも館跡が発掘されていたが、ここの新発見によりそちら私邸だと考えられるようになった。

 それでもまだ12時過ぎ。まだなかなか良い順光にはならないので、車でもう少し遠出することにした。

・菊鹿町の鷹取城
 説明版には19代菊池持朝の末子による築城とされているが、既に17代菊池武朝の時代、木野城落城時の残兵が鷹取城に籠もったが攻撃されたと言われている。

相良寺
 さがらではなく「あいら」と読む。桜がここも見事だった。
 源平時に菊池隆直と争った緒方惟能がここを焼き討ちしたり、懐良親王がここで祈祷を行ったとされるほか、みっくんが常に携帯していたという折りたたみ式不動尊が奉納されている。
 なお、ここの千手観音像は室町期のものであり、木彫りとしては最大だという。右手(?)には緒方惟能の首が握られている。

・鳴滝城
 標柱には御宇田城からここに移動と説明されているが、そもそも最初からここだったという説もあるようだ。なお、水島の戦いで今川了俊は「御宇田の高地」に本陣を移したらしいが、ここではないのだろうか。

・平重盛墓
 重盛は六殿神社を創建するなど肥後に縁があったらしいが、落ち延びてきた重盛の家臣がここの寺に墓を建てたという言い伝えがあるとのことだ。御宇田氏が建てたかもしれないらしいが。

・米嶋八幡宮
 そろそろ良い時間になったので菊池神社に戻っている途中にせっかく桜が咲いていたから再訪した。7代菊池隆定が建立。

 菊池市民広場に戻ると、さらに人出がすごいことに。菊池が大河ドラマ化されるとこうなっちゃうのか。人気が出るのは嬉しいけど、ゆっくりできなくなるのは善し悪しだな。余計な心配だろうけど。
 ちょうどいい順光になっており、写真をとりまくる。猿でも使えるデジカメは、光学16倍まで可能。購入時は30倍とで迷ったが、16倍で十分だった。

・正面から
 普段よく撮っている構図が写真左だが、中2枚のように遠くからズームできるおかげで背後に桜を入れることが可能になった。遠くにピントを合わせることもできるので、写真右のように桜越しに撮影もできた。

・やや斜めから
 やはり右からの角度が一番のお気に入りだ。しかし、あまり好きなアングルではないが、左からだと桜が背後によく入る。

 桜は入らないが、新デジカメのおかげで顔のアップも離れた場所から撮影可能に。
 みっくんの顔のしわの本数までわかりそうだ。デジタル放送におびえる女優さんと同じ心境だろう。

 桜の時期の菊池はまた格別だった。次回はいつになるかわからないが、他の神社やお寺の桜を見に行きたいと思う。

 おまけで山鹿の石のかざぐるまマンホールと七城温泉。生意気にも七城温泉が桜で栄えている。