生没 |
1489年〜1509年8月17日。母は高瀬泰朝の女か隈部武治の女か。隈部武治の女は母ではなく義母か。妻は不明。 |
生涯 |
肥後守。政朝。法名天仙源祐。父は肥前家の菊池肥前守重安。
能運には子がなく(子・重次は米良にやっちゃった)、先の玉祥寺原で能運について戦死した肥前守重安の子である政隆(当時政朝)が後継に指名される。ラッキー!父のおかげ。
うん?家督嗣いだのが14歳?これは先例からも危険な香りがぷんぷんするぞ!?さっそく大友氏の介入と反勢力に担がれた阿蘇惟長(菊池武経)に肥後守護職を追われ、島原に逃れる。
島原で挙兵し肥後に上陸するも、南関の臼間野桜馬場で敗れ大友方に捕まったという。一度は家臣に助け出されるが、久米原の戦いに再度破れてしまう。そして身柄を武経に渡され、同地の安国寺で自刃した(自ら寺に入り自刃したとも諸説ある)。21歳…、ツイてないぜ…。 |
エピソード |
・菊池能運に一度刃向かった連中は、能運が復活して気まずい思いをしていたところに能運が死去したため、遠慮なく政隆に刃向かうことができた。 |
関連史跡 |
○お墓
・安国寺
○お寺
・極楽寺
○お城
・浜の館 ・内空閑城 |