生没 |
1073年〜1123年。母は式部少輔則宗の女。妻は西郷政隆の女。 |
生涯 |
経隆の子。従四位下、兵藤四郎。伯父さんの娘を妻にしているが、伯父さんは本来2代目だったはずの政隆で、経隆が長子相続のねじれを解消するために嫁がせたと深読みしている人もいる。
鞍手、嘉麻、穂波を領有するなど、筑前に勢力を伸ばした。これを粥田荘として鳥羽上皇にプレゼントしており、その縁あってか、四男粥田経遠は京都で武者所となった。経遠とその子山鹿秀遠は後に筑前で大きな勢力を持つに至っている。
その他のことはなんともよくわからない…。 |
関連史跡 |
○お寺
わからない。筑前になにかあってもよさそうだが…。
○神社
・玉名大神宮
この他はわからない。筑前に何か…。 |