生没 |
1167年〜1122年2月13日。母は赤星経俊の女。妻は中納言平基親。 |
生涯 |
従五位下、肥後守。幼名二郎。
1185年の大変な時期にやっぱり若くして武者所に招聘されるが、さすがに上京できなかった。
アニキ・隆長が備中水島で戦死したため、ラッキーで家督が回ってくる。しかし、送り込まれてきた大友、島津、武藤(少弐)という目の上のたんこぶ共にさぞイライラしたに違いない。
そんな彼だが、領内に積極的に神社を建立している。鹿本町に米島・高橋八幡宮を建て、菊鹿町に宇佐八幡宮、菊池市に産神社など、親父のために苦労した領民達に報いるためなのかもしれない。 |
エピソード |
・さらっと嫁は中納言平基親と書いたが、後鳥羽天皇に結構近いじゃないか。なぜ菊池ごときに? |
関連史跡 |
○お墓
○神社
・玉名大神宮 ・高橋八幡宮 ・米島八幡宮 ・七坪産神社 |