第7代当主


0.藤原政則  1.菊池則隆  2.菊池経隆  3.菊池経頼  4.菊池経宗  5.菊池経直 
6.菊池隆直 7.菊池隆定  菊池隆継  8.菊池能隆 9.菊池隆泰 10.菊池武房
 菊池隆盛 11.菊池時隆  12.菊池武時  13.菊池武重  14.菊池武士  15.菊池武光
16.菊池武政  17.菊池武朝  18.菊池兼朝  19.菊池持朝  20.菊池為邦  21.菊池重朝
22.菊池能運   宇土為光 23.菊池政隆   菊池武経 24.菊池武包   菊池義武

生没  1167年〜1122年2月13日。母は赤星経俊の女。妻は中納言平基親。
生涯  従五位下、肥後守。幼名二郎。
 1185年の大変な時期にやっぱり若くして武者所に招聘されるが、さすがに上京できなかった。
 
アニキ・隆長が備中水島で戦死したため、ラッキーで家督が回ってくる。しかし、送り込まれてきた大友、島津、武藤(少弐)という目の上のたんこぶ共にさぞイライラしたに違いない。
 そんな彼だが、領内に積極的に神社を建立している。鹿本町に米島・高橋八幡宮を建て、菊鹿町に宇佐八幡宮、菊池市に産神社など、親父のために苦労した領民達に報いるためなのかもしれない。
エピソード ・さらっと嫁は中納言平基親と書いたが、後鳥羽天皇に結構近いじゃないか。なぜ菊池ごときに?
関連史跡 お墓
○神社
玉名大神宮 ・高橋八幡宮 ・米島八幡宮 ・七坪産神社