生没 |
1201年〜1258年9月8日。母は大友光能の女。妻は左中将藤原公清の女と大友能直の女。 |
生涯 |
従五位下、右京大夫。幼名弥次郎。「能」は大友光能から。菊池一族の「先祖」と称せられる。
オヤジ・隆継が早世したため、じいちゃんの隆定の跡を嗣ぎ、じいちゃんのかわりに若くして禁裡の大番役を勤めた。
そんな中、ご存じの通り1221年に承久の乱が起きてしまう。若い能隆は後鳥羽上皇方に付き、二人の叔父・家隆、隆元は宇治で戦い頑張ったらしいが、上皇方はボロ負け、もちろん所領をごっそり削られてしまった。うーん、後鳥羽院って、もしかして後醍醐天皇なみトラブルメーカー? |
エピソード |
・二人の嫁さんがいるが、これは幕府から承久の乱のペナルティーとして大友能直の娘をおしつけられたとする説がある。素直じゃない能隆は、オヤジの命か意地かはわからないが、左中将藤原公清の娘さんももらってダブル正室にしている。
・幕府に対して素直じゃない能隆を気に入ったのか、承久の乱のほとぼりが冷めた頃に、従五位下右京大夫に任じられている。 |
関連史跡 |
○神社
・玉名大神宮
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