第8代当主


0.藤原政則  1.菊池則隆  2.菊池経隆  3.菊池経頼  4.菊池経宗  5.菊池経直 
6.菊池隆直 7.菊池隆定  菊池隆継  8.菊池能隆 9.菊池隆泰 10.菊池武房
 菊池隆盛 11.菊池時隆  12.菊池武時  13.菊池武重  14.菊池武士  15.菊池武光
16.菊池武政  17.菊池武朝  18.菊池兼朝  19.菊池持朝  20.菊池為邦  21.菊池重朝
22.菊池能運   宇土為光 23.菊池政隆   菊池武経 24.菊池武包   菊池義武

生没  1201年〜1258年9月8日。母は大友光能の女。妻は左中将藤原公清の女と大友能直の女。
生涯  従五位下、右京大夫。幼名弥次郎。「能」は大友光能から。菊池一族の「先祖」と称せられる。
 オヤジ・隆継が早世したため、じいちゃんの隆定の跡を嗣ぎ、じいちゃんのかわりに若くして禁裡の大番役を勤めた。
 そんな中、ご存じの通り1221年に承久の乱が起きてしまう。若い能隆は後鳥羽上皇方に付き、二人の叔父・家隆、隆元は宇治で戦い頑張ったらしいが、上皇方はボロ負け、もちろん所領をごっそり削られてしまった。うーん、後鳥羽院って、もしかして後醍醐天皇なみトラブルメーカー?
エピソード ・二人の嫁さんがいるが、これは幕府から承久の乱のペナルティーとして大友能直の娘をおしつけられたとする説がある。素直じゃない能隆は、オヤジの命か意地かはわからないが、左中将藤原公清の娘さんももらってダブル正室にしている。
・幕府に対して素直じゃない能隆を気に入ったのか、承久の乱のほとぼりが冷めた頃に、従五位下右京大夫に任じられている。
関連史跡 ○神社
玉名大神宮