生没 |
1111年〜1186年。母は大納言宣家の女。妻は左中将頼永の女。 |
生涯 |
従四位下、肥前守。幼名七郎。
1122年、若くして父同様武者所になった。その時に鳥羽天皇から並び鷹の羽紋をもらい、これ以降日足紋から家紋を変更したとの説がある。嫁さんもその時にもらったようだ。
肥前守に任じられているように、この頃は肥前にも勢力を伸ばしていたようだ。その他のことはよくわからない…。 |
エピソード |
・肥前杵島郡長島庄の荘官職を持っていて、でもってその氏神潮見大明神の笠懸の神事に奉仕して、落馬して死去した。せっかくの長寿だったのに…。なお、1186年と言えば子・隆直は死んじゃっているか、少なくとも大変な時期である。 |
関連史跡 |
○お墓
・潮見神社
○神社
・玉名大神宮 ・内田八幡宮 |