生没 |
1482年〜1504年2月15日。母は大友政親の女。妻は隈部武治の女か、そんな暇はなくもらっていないのか。 |
生涯 |
従五位下、肥後守。幼名宮菊丸。武運。法名儀天明綱。
12歳で家督を継ぐ(あれ?なぜかちっとも驚かない)。
祖父・為邦や父・重朝がやらかした分を取り戻そうと頑張った。相良為続と戦い豊福城、古麓城をおとすと為続は八代を放棄した。ここに重朝の馬門原以前の秩序を取り戻すことを成功したのだが、この後がいけなかった。
隈部氏からの権力奪回をねらい「隈部退治」と称して玉祥寺原(袈裟尾原)に戦うも一族をまとめきれずに大敗を喫してしまい、島原に逃れる。この間、残された家臣団は「家中一致」で宇土為光を推戴してしまう。
「武運」が「不運」につながるからと「能運」に改名した成果が出たのか、その後菊池奪回に成功し、さらに古麓も奪回する。改名の効果覿面、さあこれからと言うときに、やっぱりツイていなかった。25歳の若さであえなくなく急死、改名は死期を遠ざけることは出来なかったか。ていうか、この人何歳で家督を継いだんだっけ…。
ともあれ、せっかくまとめかけた家中にまた混乱が生まれたのでした。 |
エピソード |
・「武運」が「不運」と似ているからといって、「能運」に改名したナイーブな人。
・妻はよくわからないが、子・重次を弟・重房に託して日向米良荘に入らせたという説がある。 |
関連史跡 |
○お墓
・正観寺実相院
○お寺
・西覚寺
○お城
・豊福城 ・古麓城
○その他
・玉祥寺原の戦い |