第22代当主


0.藤原政則  1.菊池則隆  2.菊池経隆  3.菊池経頼  4.菊池経宗  5.菊池経直 
6.菊池隆直 7.菊池隆定  菊池隆継  8.菊池能隆 9.菊池隆泰 10.菊池武房
 菊池隆盛 11.菊池時隆  12.菊池武時  13.菊池武重  14.菊池武士  15.菊池武光
16.菊池武政  17.菊池武朝  18.菊池兼朝  19.菊池持朝  20.菊池為邦  21.菊池重朝
22.菊池能運   宇土為光 23.菊池政隆   菊池武経 24.菊池武包   菊池義武

生没  1482年〜1504年2月15日。母は大友政親の女。妻は隈部武治の女か、そんな暇はなくもらっていないのか。
生涯  従五位下、肥後守。幼名宮菊丸。武運。法名儀天明綱。
 12歳で家督を継ぐ(あれ?なぜかちっとも驚かない)。
 祖父・為邦や父・重朝がやらかした分を取り戻そうと頑張った。相良為続と戦い豊福城、古麓城をおとすと為続は八代を放棄した。ここに重朝の馬門原以前の秩序を取り戻すことを成功したのだが、この後がいけなかった。
 隈部氏からの権力奪回をねらい「隈部退治」と称して玉祥寺原(袈裟尾原)に戦うも一族をまとめきれずに大敗を喫してしまい、島原に逃れる。この間、残された家臣団は「家中一致」で宇土為光を推戴してしまう。
 「武運」が「不運」につながるからと「能運」に改名した成果が出たのか、その後菊池奪回に成功し、さらに古麓も奪回する。改名の効果覿面、さあこれからと言うときに、やっぱりツイていなかった。25歳の若さであえなくなく急死、改名は死期を遠ざけることは出来なかったか。ていうか、この人何歳で家督を継いだんだっけ…。

 ともあれ、せっかくまとめかけた家中にまた混乱が生まれたのでした。
エピソード ・「武運」が「不運」と似ているからといって、「能運」に改名したナイーブな人。
・妻はよくわからないが、子・重次を弟・重房に託して日向米良荘に入らせたという説がある。
関連史跡 ○お墓
 ・正観寺実相院
○お寺
 ・西覚寺
○お城
 ・豊福城 ・古麓城
○その他
 ・玉祥寺原の戦い